夢の操縦法

「…夢で、わたしは、天気の良い日に馬に乗って散策をしていた。そのときわたしは自分が夢を見ているのがわかり、夢のなかで、思い浮かんだ行為を思い通りに実行できるかどうかを知りたいと思った。…目の前に二手に分かれる道があらわれた。…わたしは左の道を選択したが、そのさきには幻想の城があった…もしわたしが右の道を選んだなら、森に至り…」(夢の操縦法P203~204)

 

 

 

 

 

 

 

夢を夢だと自覚して自分の意志のままに操ることは誰しも一度は願う考えだと思いますが、それを理論的に実践しようとした19世紀のフランスの学者がいますね。エルヴェ・ド・サン=ドニ侯爵といって、奇書「夢の操縦法」を1867年に匿名で出版しています。内容は異様なものです。自分の見た夢の記述、分析、操縦するための数々の実験などが主で、夢の記述のなかには文学的に美しいものも含まれていて、そこが僕の気に入っている部分ですね。残念ながら明晰夢(夢と自覚された夢)を手軽に操作する具体的な方法までは書かれていませんが(そんなものはやはり存在しないでしょう)。

夢は現実の記憶の残滓のようなものから成り立ち、自分自身が忘れていた記憶さえも甦らせるというのは魅力的です。
例えばこの本のなかの奇妙な夢のひとつ。
「…数カ月ほど前、わたしは幼い時分に戻り、トリポールの村で遊んでいる夢を見た。わたしは制服のようなものを着た人に出会って話をし、名前を尋ねた。彼はC・・・と名乗り、橋の警備をしているのだとわたしに答えた。…目が覚めてもわたしの頭の中にC・・・という名が残っていた。これはただの想像だろうか、それとも実際にC・・・という名の警備人がトリポールにいたのだろうか?わたしにはわからないし、その名前に心当たりもなかった。しばらくして、わたしは、昔父の女中で、わたしをよくトリポールに連れていってくれた老婆を訪ねた。わたしが彼女に、C・・・という名の人を覚えているかと訊ねると、彼女は即座に、父がマルヌ川の架橋工事をしていたときの橋の警備人だと答えた。わたしは確かに彼のことは分かったが、思い出すことはできなかった。夢は、彼が夢に現れたようなかたちで、わたしが知らないことを明らかにするようだ。」(P168,169)

現実では忘れていた記憶を、夢のなかで他人が語ってくれるというのは何とも魅力的です。

 

 

 

 

 

 

 

 

井筒ワイン、入荷しました。いずれはオンラインショップにも載せていきたいですね。
無添加特有の、後味の土っぽい味わいが癖になります。
画像はこの時期だけの生の無添加ワインです。ピチピチしていて美味しかったです。

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